21世紀という時代の変わり目にあるということは、20世紀という一つの世紀が作りあげたみな同じという文化もまた、変わり目にあるということです。( ア )。等質な社会の在り方の中から、自分にしかない価値を見つけられるかどうかは、どんな言葉をどのように使って、自分を自分にしてゆくかにかかっているということです。 そのためには、言葉に対する感受性を磨く必要があります。( イ )。言葉は意味が全てではなく、怒ったときは怒ったように話し、悲しいときは悲しいように話します。そのとき言葉が伝えるのは、単なる言葉の意味でなく言外の意味です。( ウ )。たとえみなが同じマフラーをもっているが、自分が自分であることを示すのは、自分はそのマフラーをどう結ぶかです。重要なのはどんなマフラーを持っているかではありません。言葉も同じです。みなが同じに持つ言葉を、かけがえのない自分の言葉にできるものは、一つだけ、言葉と向き合う態度なのです。( エ )。